アートができること

例えば色々不謹慎ダーとか言われていますが、私はこう考えます。何かココロを揺さぶるものでほっとできたり「明日も頑張ろう」って思えたりします。だから、愛でるココロも今は放っておかないで欲しい。いつの時代も芸術は「贅沢」「娯楽」てな塩梅で批判されますわな、真っ先に。戦争のときもそうだったように。でも本当にそうでしょうか。豊かな心が育たないと、優しい気持ちも生まれない。感情を育てないと!美しいものを見よう!美しい音楽を聞こう!こういうときだからこそ!

自分が落ち込んだとき、救ってくれるのは大好きなアーティストと大好きな人です。そうやって生きてきたのだから、今回も多くの人にとってアートは排除する必要のないものです。歌って踊ろう!


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美術を学ぶ人へ     佐藤忠良

美術を学ぶ前に、私が日ごろ思っていることを、みなさんにお話します。
というのは、みなさんは、
自分のすることの意味------なぜ美術を学ぶのかという意味を、
きっと知りたがっているだろうと思うからです。

私が考えてほしいというのは、科学と芸術のちがいと、その関係についてです。
みなさんは、すでにいろいろなことを知っているでしょうし、
またこれからも学ぶでしょう。
それらの知識は、おおむね科学と呼ばれるものです。
科学というのは、だれもがそうだと認められるものです。

科学は、理科や数学のように自然科学と呼ばれるものだけではありません。
歴史や地理のように社会科学と呼ばれるものもあります。
これらの科学をもとに発達した科学技術が、
私たちの日常生活の環境を変えていきます。

ただ、私たちの生活は、事実を知るだけでは成り立ちません。
好きだとかきらいだとか、美しいとかみにくいとか、
ものに対して感ずる心があります。
これは、だれもが同じに感ずるものではありません。
しかし、こういった感ずる心は、人間が生きていくのにとても大切なものです。
だれもが認める知識と同じに、どうしても必要なものです。

詩や音楽や美術や演劇------芸術は、
こうした心が生みだしたものだと言えましょう。

この芸術というものは、科学技術とちがって、
環境を変えることはできないものです。

しかし、その環境に対する心を変えることはできるのです。
詩や絵に感動した心は、環境にふりまわされるのではなく、
自主的に環境に対面できるようになるのです。

ものを変えることのできないものなど、
役に立たないむだなものだと思っている人もいるでしょう。
ところが、この直接役に立たないものが、心のビタミンのようなもので、
しらずしらずのうちに、私たちの心のなかで蓄積されて、
感ずる心を育てるのです。

人間が生きるためには、知ることが大切です。
同じように、感ずることが大事です。
私は、みなさんの一人一人に、ほんとうの喜び、悲しみ、怒りが
どんなものかがわかる人間になってもらいたいのです。

美術をしんけんに学んでください。
しんけんに学ばないと、感ずる心は育たないのです。