涙を流す場所はいつだって平凡な日常の渦の中

泣いていても、今は9月の何日で、何時であると表示され、ふざけて生きていた証を目にすれば、ぐしょぐしょに泣いている自分に冷静になる。


犯した過去の過ちのある体を見れば、もうこんな事を繰り返しては行けないと言う気持ちになる。けれど、でも。思い出す事はできなくて、どうしてどうしてと自分に問う。鋭さを持つ前に考えるようになれたのは、少しは自分を大切にできているのかもしれないと思う事。と同時に、こんな自分の事を大好きなくせにと、百も承知なくせに、自分を懲らしめてやりたいと思う事。


一種の中毒症状だ。


滴る瞬間を見てみたいとは思わないか?例えば妄想の中でアタシはもう自分に鋭さを突き刺している。けれど、悲しい目を知っているから、なんだか躊躇する。もう激情と冷静の中でさまよっている。さまよっている。


もう止めたい。もう終わりだ。すぐ傍に鋭さがある。お願いだからやめてアタシ。


どうすればいいのか分からない。向かうのか、背を向けるのか。怖い。自分が怖い。


勢いよく振り下ろされているはずの鋭さはすぐ傍にある。


どうしよう。そうしよう。できない。やったらおしまい。


この贅沢もの。